2022年02月02日

ポストコロナに向けて

相変わらず、新型コロナウィルスの感染者が増え続けています。

自分の職場の職員の中にも、濃厚接触者となったため、出勤停止を強いられる方々が少しずつ増えています。

また、感染対策のため、自分の勤務病院はもちろん、周辺の病院も、新入院数を制限せざるを得ず、まさに医療崩壊があちこちでじわじわと、確実に起きています。

そう、メディアでもよく言われていますが、新型コロナ感染者の治療のために、他の疾患の治療が制限されているのです。

さて、それはさておき、今日は久しぶりに、読んだ本のご紹介をいたします。
昨年末読んだ本です。




生物学者の福岡伸一氏、美学者の伊藤亜紗氏、歴史学者の藤原辰史氏の三者が、それぞれの立場から、ポストコロナの時代を生きるための哲学を語ります。

福岡氏は、コロナ問題は、「ビュシス(自然)からのリベンジ」と言います。
そして、宮沢賢治の「春と修羅」になぞらえて、ビュシスとしての「わたし」について語ります。
以下、要約です。
人間は、ビュシスの中に因果関係を生み出し、ビュシスをロゴス(論理)に変えた。ロゴスこそが、人間を人間たらしめた、最大の力だ。しかし、自らの生命は、最も不確かなビュシスであり、それは、ロゴスで制御できない。
ウィルスもそのビュシスの中の1ピース。食物連鎖にみられるように、生物は元々利他的な物で、ウィルスもしかり。生命の遺伝情報は、普通、親から子、子から孫へと垂直に伝達される。それに対し、ウィルスは個体から個体、種から別の種へと、水平に移動して、遺伝情報を伝達する。生命の進化の流れに手を貸す1個のピース、いわば生命の進化のパートナーでもある。また、宿主の免疫システムに刺激を与えることによって、それを調整し、活性化している。
つまり、100年前に起こったスペイン風邪大流行も、そういった生命の進化の過程で起こったものというわけです。

伊藤氏は言います。
芸術作品を見た時に受ける衝撃や、私たちの感性、身体感覚はあいまいで簡単に言葉にできない。「曰く言い難い感覚」について、あえて言葉を使いながら深めていく、それが美学という学問分野になる。つまり、美学はロゴスに対する警戒心を持つ学問である。
コロナ禍で、ソーシャルディスタンスが推奨され、場を共有することが難しいが、「聞く」ことは互いの場が違うからこそ生まれる行動だ。
様々な制限の中でも、最善の行動をとることを「倫理」というが、「聞く」ことによって、倫理の創造性を開放し、それぞれの居場所を持つことにつながるのではないか。

藤原氏は言います。
歴史学者は、スペイン風邪に対する当時の対応、第一次世界大戦等の例を挙げ、「負の歴史から学べ」と言います。
20世紀は人為的な飢餓が多い。大勢で食事をする機会が減り、食肉処理工場では、低賃金の問題はおろか密集して働くため、クラスターが生じやすい。様々なコロナ禍の社会のひずみは「構造的暴力」だ。構造的暴力が露になっている今、負の歴史を知り、それを踏まえて、学んでいかなければならない。



なるほど、そう遠くない未来、生命の進化の過程のために、コロナ禍は生じたと振り返る時が来るのかもしれません。
そうは言っても、今を生きる我々は、右往左往しながら、後ろを振り返って反省しつつ、前を向いて、未来のためにも進まなければなりませんね。


余談ですが、今年の共通テスト国語問題の出典の一つが、藤原氏著作の「食べるとはどういうことか」でした。食べることと生命の関係について論じています。さらに他の著者の出典では、宮沢賢治の「よだかの星」について語られています。

ん?出題者は、もしかしてこの本(ポストコロナの生命哲学)をお読みになった?
いや、それはさすがに冗談ですが。
でも、内容から、この出題は、コロナ禍の世相を反映したチョイスなのかと思いました。

受験生の皆様、過酷な状況での受験、本当に大変かと思います。
頑張れ受験生!



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chirorin1gata at 20:50コメント(0)
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